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千葉県立美術館所蔵

浅井忠
日記資料デジタルアーカイブ

このデジタルアーカイブは、千葉県立美術館が所蔵する浅井忠(1856 - 1907)の4つの日記の画像と釈文を、地図や関連資料とともに公開することで、美術館に直接来館できない人々にも広く浅井忠の魅力を発信することを目的としたものです。もっと読む

このデジタルアーカイブについて

このデジタルアーカイブは、千葉県立美術館が所蔵する浅井忠(1856 - 1907)の4つの日記の画像と釈文を、地図や関連資料とともに公開することで、美術館に直接来館できない人々にも広く浅井忠の魅力を発信することを目的としたものです。

4つの日記は、浅井の旅の記憶であり、文章だけでなくスケッチも多く描きこまれています。浅井の旅と写生は、学生時代の課題制作等を発端として生涯続けられました。浅井にとって、旅に出て写生することは創作活動の原動力でした。工部美術学校を退学した翌年に従弟の窪田洋平と筑波方面に旅した際の記録を綴った「筑波日記」、日清戦争時に従軍画家として戦地に赴いた際の体験を書いた「従軍日記」、西洋画研究のため留学したパリに到着以降の半年程の出来事を記した「巴里日記」、1901年5月のフォンテーヌブローからグレーへの10日間の旅の記録を綴った「フォンテーヌブロー日記」。各時期の旅での浅井の新鮮なまなざしが記されたこれらの日記やスケッチからは、当時の時代背景や浅井の人柄が活き活きと伝わってきます。まるで一緒に旅しているかのような臨場感を、どうぞお楽しみください。

浅井忠肖像

浅井忠

1856 - 1907

近代洋画の先駆者として知られ、日本画や工芸、図案など多様な分野でも活躍した人物。 千葉県立美術館は、昭和49(1974)年の開館以来、千葉ゆかりの作家として浅井の作品収集及び調査研究につとめており、約200点の作品と絵葉書等約1,500件の関係資料という、日本有数の浅井忠コレクションを有しています。

1856

安政3

佐倉藩士の子として生まれる。

1876 - 1878

明治9 - 明治11

日本最初の官立美術学校である工部美術学校でイタリア人画家・フォンタネージに学び、洋画の専門教育を受ける。

1879

明治12

東京師範学校図画教員となる。7月29日-8月8日、従弟の窪田洋平と佐倉から三里塚、八日市場、銚子を経て筑波に旅行する。

筑波日記

1889

明治22

明治美術会の設立に貢献する。

1892

明治25

明治美術会の絵画科教授となる。

1894

明治27

日清戦争に時事新報通信員として従軍。

従軍日記

1898

明治31

東京美術学校教授に任命される。

1899

明治32

文部省より西洋画研究のため2年間のフランス留学を命ぜられる。

1900 - 1902

明治33 - 明治35

フランスへ留学。帰国後、京都へ移住し、高等工芸学校 (現京都工芸繊維大学)の教授に任命される。

巴里日記

フォンテーヌブロー日記

1903

明治36

自宅に聖護院洋画研究所を開設。

1906

明治39

関西美術院の院長となる。

1907

明治40

逝去。

展覧会概要

このデジタルアーカイブは、下記展覧会の開催に伴い製作されました。

開館50周年記念特別展「浅井忠、あちこちに行くーむすばれる人、つながる時代ー」

会場千葉県立美術館会期令和6(2024)年10月30日(水)~
令和7(2025)年1月19日(日)
開館時間9時 ~ 16時30分(入場は16時まで)休館日月曜日(11月4日、1月13日は開館)
11月5日(火)、1月14日(火)、年末年始(12月28日 ~ 1月4日)
浅井忠、あちこちに行くーむすばれる人、つながる時代ー展覧会ポスター

クレジット

4つの日記の画像下に掲載した釈文は、以下より引用しました。(『筑波日記』と『従征画稿』は所収の地図も引用しました。)

・筑波日記:『筑波日記』(浅井忠著、千葉県立美術館編集、浅井忠像建立委員会発行、1979年刊)

・従軍日記:『明治廿七年従軍画稿 : 浅井忠日清戦争従軍日記』(浅井忠著、千葉県立美術館編集、千葉県立美術館 友の会発行、1987年刊)

・「欧州日記 附巴里日記」、「欧州日記別冊」及び「浅井忠滞歐時代使用手帳」の釈文は、東京湾学会理事(2024年現在)の高橋覚氏による。

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